2023年5月6日(土)1時〜1時50分 小学生から高校生を対象とした子ども英語クラブがあります 英語を楽しく学びます 無料です 教材の準備がありますので参加希望の方は教会に事前にお電話にてお問い合わせください 

 

同日2時から ピアノ、オルガンの個人レッスンがあります 受講希望の方は教会まで、お電話にてお問い合わせください

2022年12月18日(日)10:30からクリスマス祝会で紙しばい、楽器演奏、賛美、などあります。11:00からは通常の礼拝です。

✴︎明日2022年2月6日は11時〜11時半の礼拝のみ行います。

2021年2月28日の礼拝は自宅礼拝となります。YoutubeとFacebookの小樽バプテスト教会ページに礼拝用動画が当日朝8時にアップされます。3月7日以降は通常通り教会に集まっての礼拝を再開します。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

コロナウィルス感染拡大を受け2020年2月29日〜3月14日まで小樽バプテスト教会を会場として予定していた全ての集会を休止いたします。礼拝、祈祷会含

☆教会での礼拝を休止中に献金を送金される方は小樽バプテスト教会 

ゆうちょ銀行振替口座 02740ー3−19426 まで お願いします。

 

 

2020.3.8.

礼拝メッセージ

「わたしの父の家」ヨハネによる福音書14章1節~6節

 

 おはようございます。今朝もみなさんと共に礼拝堂で礼拝を捧げることは出来ませんが場所は違えど同じ思いをもって、それぞれの場所で礼拝を捧げていることと思います。先週一週間を振り返ると1日の週末は道内のみなさんはなるべく外出を控え、新型コロナウィルスによる肺炎の拡大が無いようご協力くださいと知事からの要請がありましたが、数日前になると、大人数が集まる所や、換気の悪い所には行かないように、また風邪気味の方は基本外出を控える。という様に少しずつ状況が変化してきました。わたしたちの教会のメンバーが働いておられる職場でも、バッフェスタイルの食事が今は良くないということで定食型の食事提供に変わったり、お客さんも普段の3分の1ほどにまで落ち込んでいるということでした。定食型の食事提供になり人手があまりいらないということでしょうか、教会員の方と一緒に働いていた方は今日午後から道東の同系列のホテルに、また先日まで一緒に仕事をしていた他の社員の方は他のホテルに短期間、ヘルプに入っているということです。昨日はちょうどいま、研修のため北海道に2週間来られている神学生の方に小樽にお越しいただき、クリスチャン新聞、こころの友の配布準備、また数件打ち合わせや配布物のための訪問に同行していただきました。西本さんは明日、2週間の研修を終えて帰宅されますが、今回のコロナの影響を受けて他の教会も普段の礼拝、祈祷会を教会で出来なくなり、予定変更が多かった様ですが、それでも道東のいくつかの教会にも出かけて行き、地方教会における外国人労働者とそれを取り巻く状況をキリスト教倫理の観点から考えるという来年のご自身の卒業論文のテーマのため少しずつ聞き取り調査もされた様でした。来週の15日の日曜日には礼拝のみ教会で捧げることが出来る様にと準備を進めてまります。祈祷会も、その週から通常通り再開したいと思います。教会学校や食事、お茶の時間は当面なし、また風邪ぎみの方は出席をご遠慮くださり基本的に出来る限り出席の方は受付にあるマスクをつけての出席。私語もなるべく慎むという形で進めさせていただきたいと思います。

 

 今朝の聖書の箇所はヨハネによる福音書14章1節~6節です。ここでイエスさまは「心を騒がせるな」と言われました。先週のメッセージの中では、最後の晩餐の席で、弟子たちの足を洗われたイエスさまの箇所からお話をしました。その続きを少し読んでみますとイスカリオテのユダが裏切るために晩餐の席から途中でいなくなり、またペトロがイエスさまに、あなたのためなら命を捨てます。従います。とまで宣言したにも関わらず、イエスさまはペトロに「鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう」と言われた場面がありました。そしてそのすぐ後で今朝のイエスさまの「心を騒がせるな」と言う言葉があります。このあたりを詳しく読んでみますと、イスカリオテのユダが晩餐の席を立って出て言った理由も、すぐ側にいたはずの弟子たちはハッキリとは理解しておらず、イエスさまからユダは何かを買ってきなさいと使いにやられたとまで思っていた人がいたほどでした。12章12節までさかのぼると、イエスさまがろばの子に乗ってエルサレムに入城され、ホサナ、ホサナ、と大歓迎を受けておられます。キリスト教の暦では今、ちょうど受難節を迎えていますが、今日の箇所は十字架に至る受難週の箇所です。鈍感であった弟子たちでも、何かイエスさまの様子がいつもとは違う。これまで弟子たちに対して厳しいことももちろん言われたが、先ほどペトロがイエスさまに忠誠を誓った時に「あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう」と、「あなた方は」ではなく「あなたは」と、言われた。いつになく厳しく、切羽詰まった様なイエスさまの様子、また過越の祭のためにありとあらゆる所から集まった人たちで熱気に包まれていたこのエルサレムとその周辺地区は少し異様な雰囲気でした。

 イエスさまが弟子たちに「心を騒がせるな」と言われたのは、その瞬間。晩餐の席だけでのことだけでなく、これから起ころうとしているイエスさまの逮捕、裁判、十字架に向けて、弟子たちがどの出来事と向き合う時にも「心を騒がせるな」とパンを裂き、杯を手渡しながら言われた、その言葉を思い出すための大切なことでした。またイエスさまは続けていくつかのことを言われます。「神を信じなさい。そしてわたしをも信じなさい」。これからこの弟子たちの目の前で繰り広げられる様々な怒涛の出来事の連続の前に翻弄されるのではなく、イエスさまが常に示されておられた父なる神さまのことを信じること。そして、イエスさまを信じることを積極的に選び取りなさい。ということです。そしてそれは何故か、続けてイエスさまは言われました。「わたしの父の家には住む所が沢山ある。もしなければ、あなた方のために場所を用意しに行くと言っただろうか。行って、あなた方のために場所を用意したら戻ってきて、あなた方をわたしの元に迎える。

 弟子たちにはここにきてもなお、ハッキリと、この後に逮捕があり裁判があり十字架があるということはわからなかったと思います。けれどもイエスさまは、「どうせ言ってもわからないだろう」ではなく、彼らに少しでもわかる形でハッキリと言葉で伝えておられます。イエスさまがこの後、十字架に上げられていくことは、父なる神さまの御計画の一部であり、イエスさまが先に天の父なる神さまの御元で、弟子たちのために場所を整えてくださり整ったら迎えに来てくださる。というのです。

 今、わたしたちはまさにこの弟子たちが教えられた様にイエスさまが再臨なさって、わたしたちを迎えに来てくださる。その時を仰ぎ待ちのぞむ「教会の時」を過ごしています。イエスさまが父なる神さまの御元で一生懸命、わたしたちを迎える準備をされている間、わたしたちは何もせずに、ただ呼ばれるのを待つのではなく、この世のすべての人々は神に愛され、神に造られ、神より命の息吹を与えられ、今生かされている。イエスさまは、わたしたち一人ひとりが神さまの御前に赦されて、立つことができる様に。喜んで生きることができる様に、その十字架で血を流し死んでくださった。そのことを、私たちがこの地上で伝える、その様な「教会の時」です。

 

 イエスさまは言われます。「わたしは道であり真理であり命である。わたしを通らなければ、だれも父の元に行くことができない。」道は、あって当たり前ではなく、道が開通してはじめて物流や人の行き来が生じて、文化や貿易が栄えるものです。真理はわたしたちを自由にするものです。命もまた、あって当たり前ではなく、今日もまた神さまによって命を与えられてはじめて、わたしたちは一つひとつの活動や取り組みや礼拝や聖書を開いて読むこと、周りにいる人たちに神さまの愛を自然に示してゆくこと、神さまから預かった福音を分かち合い、賜物を磨いて「用いてください」「あなたの愛と慈しみの通りよき管として用いてください」と祈ることができるのです。わたしたち教会は。そして今、教会の建物に集い礼拝ができない。という時だからこそ改めて思わされますが、教会に集い礼拝する群れである、わたしたち「教会」は、その教会の「かしら」であるイエスさまがそうである様に、私たちもまた人と人とを繋げることが出来る様にする道となり、人に自由を与える真実なる者となり、人を真の意味で生かす「命」与える群れでありたいと思います。イエスさまを「主」であると信じ、そのイエスさまに従って生きていきます。と表明した者に、神さまは真の命を、永遠の命を与えてくださいます。そしてその命は、イエスさまの命がそうであった様に、父なる神さまから託された無敵の最強の命、ではなく、「与える命」であり、力ある者に時に奪われることもある様な命です。しかし、一粒の麦はそのままでは死ぬだけであるが、その一粒の麦が落ちて死んだなら実を結ぶ。人を生かし、希望を与え、命をつなぐ。その様な命を、わたしたちはイエスさまを信じ従う時に受け取ることが出来ます。永遠の命の約束を受け取ったから何をしても良い。というのではなく、神さまからの尊い代価によって与えられる永遠の命の約束を受けたわたしたちは、喜んで分かち合い、与える者へと変えられてゆくのです。ひとりで祈ること、分かち合う、与えることも素晴らしいことです。けれども、イエスさまが弟子たちに示された様に、二人、また三人で祈ること。共に出かけてゆくこと。共に訪ねて行くこと。そのただ中にイエスさまも共にいてくださいます。

 

 イエスさまは「わたしの父の家には住む所が沢山ある」と言ってくださっています。私たち顔馴染の教会に毎週集う者だけでなく、さらに多くの方々がイエスさまを通して与えられている永遠の命を喜んで受け取ることが出来る様に、さらに祈り、わたしたちを共に用いてくださいと祈る者となりたいと思います。当面は、これまでの様に教会で一緒の食事をしたり、午後の会議をすることが出来ません。けれども、この様な時だからこそ、イエスさまの時代の教会を思い、集い、礼拝を捧げる。聖書の御言葉を共に聴き、祈る。その様な姿が、わたしたちの原点であるということを思い出して感謝して過ごしたいと思います。

 

 

 神さまが皆さんの健康を守り、日々の安全を守り、祝福を増し加えてくださいます様にお祈りいたします。

2020.3.1.

小樽バプテスト教会 礼拝メッセージ

エイカーズ愛

「互いに足を洗いなさい」

ヨハネによる福音書13章12節~20節

 

 おはようございます。通常ならば、今朝もこのようにして皆さんと共に礼拝をお捧げする事が出来て嬉しく思います。と挨拶をしますが、今朝は新型コロナウィルスによる肺炎の拡大により、先週後半執事と牧師で祈りつつ話し合った結果、礼拝は各自、家庭で。そして次週の3月8日も同様に、それぞれがご自宅で礼拝を捧げる。ということとなりました。道内ではわたしの知る限り、札幌、リビングホープ、西野、室蘭、苫小牧も同じように今日と次週の礼拝を教会で行うことを休止しています。一刻も早く事態が収束することを祈ると共に大変な混乱状態の中において政府および自治体の長に良い知恵と判断力が与えられるようにとりなしの祈りを積み上げていきたいと思います。また、今、この肺炎のために苦しんでおられる方々、同様の症状のために差別や偏見にさらされている方々のためにも祈ります。

 

 今朝の聖書の箇所は最後の晩餐の場面です。イエスさまと12人の弟子たちがエルサレム市内のある家の二階の広間で過越の食事を取っている時でした。昨日の聖書日課のところでは、食事をしている時にイエスさまが突然立ち上がり上着を脱ぎ腰に手ぬぐい、たらいに水を汲み、弟子たちの足を洗い始められた。というところでしたが、今朝のところはその続きです。イエスさまは12人の弟子たちの足を洗い終えられると、上着を着て食卓に戻られた。というのです。いま、わたしたちは肺炎やインフルエンザにかからないように、いつも以上に丁寧に手洗いをしていると思いますが、どうでしょうか。夕食を食べる、しかもその当時はフォークやお箸など使わずに手で食べていましたが、食事の最中に、いくら沢山綺麗な水があったとしても12人の弟子たちの足を洗うということは、イエスさまでも、気の進むことではなかったのだと想像します。水が沢山入った水がめは恐らく家の一階にあったと思われますから、二階の広間から何度も階段を行ったり来たりしながら。どれだけ段取りがよく準備がよく出来ていても12人の大人の足を綺麗に洗って拭くのには時間も手間も体力もかかったことでしょう。この最後の晩餐の後、急激に事態は十字架に向かって加速して行きます。そのことを誰よりもよく知っておられたイエスさまは、では何故ここでわざわざ貴重な残された弟子たちとの時間を割いて、この洗足をなさったのでしょうか。

 

 今年のカレンダーで過越の祭は4月8日からです。先週の2月26日が灰の水曜日といって日曜日を除くイースターまでの40日間の受難節の始まりでした。敬虔なクリスチャンはこの40日の間、断食をしたり、何か自分の好きなことを一つ我慢をして集中して祈る時として過ごします。私は学生時代、霊的成長と発展(Spiritual growth and development)というクラスで、何でも良いので自分の好きなこと習慣になっていることを、この40日間やめて、その葛藤の時に特にイエスさまの受難と十字架を思いレポートを書く。という宿題をした事があります。当時私はコーヒーを毎日飲んでいましたので、それを辞めてみました。最初は慣れずに落ち着きませんでしたが、後半はコーヒーを淹れて飲んでいた時間を丸々祈る時間に置き換えるということに慣れて、祈るための良い訓練の時となりました。もちろんイエスさまの受難と十字架は、私がコーヒーを40日間口にしないということとは比べ物にならないほど大きな苦しみです。けれども、私たちが普段当然のこととして受けてきている一つひとつのことを意識的に手放して、その代わりに短くても祈りを捧げる。という事が、わたしたちの信仰を養うひとつの手立てとなります。

 

 イエスさまが足を洗われた、その弟子たちの中には、あからさまにイエスさまを銀30枚で裏切ったユダもいました。また「私はそのひとを知らない」と中庭から逃げていったあのペテロもいました。裏切りの場面ではこの二人が有名ではありますが、ほかの弟子たちも漏れなく、あの十字架の場面では、そばにはいませんでした。神さまがイエスさまのその洗足を通して示されたその愛は、自分を裏切ったり、自己防衛のためならひとを切り捨てるようなずるい弟子たちをも愛し、愛し貫かれた そのイエスさまの姿です。自分のことを裏切るということをイエスさまは、もちろん知っておられました。普通なら、この直後に自分の身を逮捕されるために引き渡すような人には足であっても、手であっても触れたくもないと思うでしょう。しかしイエスさまは、自らそんな彼らの足元に跪き、丁寧に心を込めて祈りを込めて、恐らく上よりの愛を込めて彼らの足を洗ったのでした。

 

 昨年末にアフガニスタンで中村哲さんが襲撃を受け殺されてしまいました。アフガニスタンの人たちが綺麗な水があれば病気になりにくいし、井戸を掘り、水路をひくことで雇用を生み出し、農業で手に職を与え、と懸命に仕えた方の命が突如としてテロリストの襲撃により奪われ、誰もがショックを受けました。中村哲さんの著書に「丸腰のボランティア」という本がありますが、まさに中村哲さんは、今日のところに出てくるイエスさまのように、いつどこから襲撃されても、反撃できないような形で、自分を守ることなど優先順位の最後の方に置きながら、今なすべき務めへと向かう日々でした。

イエスさまもまた、常に短剣を持ち歩いていたわけでもなく、盾を持っていたわけでもなく、時として自らを危険にさらしながらも、ただ神さまの御心を行わせてください。と祈りつつ励まれたのでした。

 

 今回のこの新型コロナ・ウィルスによる肺炎拡大の状況の中に置かれる時に、改めて神さまが教会に託された働きとは何だろうか。また、教会とは何を指すのだろうか。という基本的な問いをいただいています。ひとつには、神さまが教会を通して期待されておられることには、イエスさまがまさにこの洗足の場面で示されたように、見返りを期待せずに心を込めて時間をかけ、手間をかけて世の人々に仕える。ということです。そしてそれは、どんな人に対してでも。です。けれども、どんな扱いを受けてもどんな仕打ちにあっても、何が何でも笑顔で朗らかに。ということではありません。イエスさまがこの弟子たちの足を洗われたのは、そのような扱いを受けた弟子たちが、その体験を思い起こすたびに、その意味を考え、神さまからの命として心込めて目の前にいる人に仕える視聴覚教材となりました。そのことは、究極的には神の国建設。全ての創られたものが「イエスは主なり」と告白する。そのためです。嫌な人の足でも神さまから命じられたから、と嫌々洗うことは、それ自体が尊いのではありません。あのカナの結婚式で、その目的や意図が完全にわからないままにイエスさまに命じられるままに重い水瓶を何度も井戸から祝宴の場所まで運んだ弟子たちや、僕たちのように、その大きな喜びの場で水がぶどう酒に変えられた、そのことを知るときに一番大きな喜びに与り、神さまの御業の美しさを実感したのが弟子たちでした。カナの村で突然現れたイエスさまから、ともかく水をこの水瓶の口のところまでいっぱいに汲んで来なさいと命じられた僕たちは恐らく愚痴り、戸惑い、見えないところでイエスさまを睨みつけていたかもしれません。けれども神さまはそんな彼らをも用いて、多くの人たちの喜びのためにその水をぶどう酒に変えられました。

 

 教会とは何を指すのだろうか。その問いへのヒントが今日のところに出てまいります。教会は私たちが毎週礼拝を行う建物だけを指す言葉ではありません。そこに集うわたしたち一人ひとりが、心を込めて時間を割いて、捧げ物を携え、祈り心を持って、聖書の御言葉をもとに、上よりの命を受け遣わされる。その群れこそが教会です。通常は礼拝を捧げる事ができる土地があり、建物があることは感謝なことです。けれども、それがそこでなければ二流である。ということではありません。奇しくも今年度の小樽教会のテーマは「きょうかいを超えて」です。教会の敷地の境界線を越えて、とか、他者と自分たちとの間にある境界線を越えて、また、わたしたちの想像しうる想定を越えて働かれる神さまの大胆な御業に目を向け、期待しようと始まった2019年度です。その最後の月に、このようなチャレンジをいただき、いつもの会堂で礼拝ができない。そのことの意味を思わされています。また60数年前に奥沢の公園でかつて大きなテントを張りそこで伝道集会を1ヶ月毎日していた頃の基本の「き」に立ち帰らされる思いです。

 

 もし万が一、教会の礼拝で感染が拡大したら社会的に責任が取れない。その場所での伝道がもはやできなくなる。そんな恐れはもちろんあります。けれども、そのことは、ひとまず横に置いて、今この置かれた状況の中にあって、神さまが私たちに「聴きなさい」と言われることは何なのか。それを祈り求めていきたいと思います。

 

 互いの足を洗いなさい。それは、わたしたちのように互いに慣れ親しんだ知人友人だけではないのかもしれません。神さまが愛しておられる、仕えよと言われるその対象は、私たちが話しかけやすい、親しみやすい、年の近い、そのような人たちだけではないはずです。最も小さくされた者、その者に仕えることは、すなわち、私にしたのである。と言われるイエスさまの御言葉をおぼえつつ、この一週間も過ごしてまいりましょう。

 

 

 「あなたが呼べば主は答え、あなたが叫べば「わたしはここにいる」と言われる。軛を負わすこと、指をさすこと 呪いの言葉をはくことをあなたの中から取り去るなら 飢えている人に心を配り苦しめられている人の願いを満たすなら あなたの光は、闇の中に輝き出て あなたを包む闇は、真昼のようになる。主は常にあなたを導き、焼けつく地であなたの渇きをいやし、骨に力を与えてくださる。あなたは潤された園、水の涸れない泉となる。」

 

 

 

 

 

 

 

・2017年6月25日(日)は昨年9月まで小樽バプテスト教会の牧師をされていた岩波久一先生 が礼拝でメッセージをされ、幸子先生が特別讃美をしてくださいます。礼拝の時間は普段通り10 時から12時です。どうぞお越しください。昼食の準備もございます。

お知らせ

7/2と7/9の礼拝には、それぞれアメリカからのゲストが来られます。英語でお話をしてみたい方、是非いらしてください。

7月7日 夕7時から8時半まで三浦綾子読書会があります。「岩に立つ」を今回解説をしていただきます。どなたでもいらしてください。講師:森下辰衛(三浦綾子記念文学館特別研究員·三浦綾子読書会代表)参加費無料 自由献金

♪7月29日(土)11時より讃美音楽レッスンがあります。奏楽者のためのピアノ、オルガン個人レッスンが初めにあり、その後讃美歌を参加者全員で歌いポイントを教えていただきます。どなたでも歓迎いたします。

♪8月28日(土)11時より讃美音楽レッスンがあります。奏楽者のためのピアノ、オルガン個人レッスン(1000円・事前連絡感謝)が初めにあり、その後讃美歌(500円)を参加者全員で歌いポイントを教えていただきます。どなたでも歓迎いたします。

♪9月30日(土)11時より讃美音楽レッスンを行います。どなたでもいらしてください。

♪10月21日(土)11時より讃美音楽レッスンを行います。どなたでもいらしてください。個人レッスンは千円。讃美グループレッスンは500円です。個人レッスン希望者は事前に牧師までご連絡ください。

📖 11月10日(金)夕7時から三浦綾子読書会があります。今回のテキストは「夕あり朝あり」として、お話いただきます。

♪11月11日(土)11時より讃美音楽レッスンを行います。どなたでもいらしてください。個人レッスンは千円。讃美グループレッスンは500円です。個人レッスン希望者はお早めに牧師まで。

♪12月9日(土)11時より讃美音楽レッスンを行います。どなたでもいらしてください。個人レッスンは千円。讃美グループレッスンは500円です。個人レッスン希望者はお早めに牧師まで。次回はクリスマス礼拝の中で讃美する予定の「さやかに星はきらめき」の練習をします。

2018年1月1日(月)は11時から12時まで元旦礼拝があります。

2018年3月21日(祝・水)午後1時〜2時半まで、北海道教育大学の音楽家の皆さん「パニメッタ」をお迎えして「春のほっこりコンサート♪」を開催します。入場無料。

小樽バプテスト教会 で検索するとfacebookの小樽バプテスト教会のページが誰でもご覧いただけます。牧師の日々の黙想や礼拝メッセージの一部を少しずつアップしています。どうぞ、ご覧ください。

2018年3月9日(金)夕7時〜8時半 三浦綾子読書会 テキスト:愛の鬼才 入場無料 自由献金あり 

2018年4月14日(土)11時より 讃美音楽レッスンがあります。どなたでもお越しください。

2018年9月8日 予定しておりました讃美音楽レッスンは中止とさせていただきます。地震で被災された方々お見舞い申し上げると共にお祈りいたします。

♪2018年5月12日(土)11時から讃美音楽レッスンがあります 
📖2018年5月13日11時からの礼拝では米国の日本語教会で牧師をされておられます一場茉莉子先生がメッセージをとりついでくださいます
📖2018年7月8日11時からの礼拝では米国のセントラル バプテスト教会のボブ ドッカリー先生がメッセージをとりついでくださいます

♪2018年9月8日(土)11時より讃美音楽レッスンを行います。個人レッスンご希望の方は牧師までお早めにお申し込みください。

☕️2018年9月23日(日)午後1時半〜2時半までミニバザーを行います。

✏️2018年9月30日(日)午後1時半〜3時まで社会福祉講演会を予定しています。

📖2018年11月9日(金)夕7時から三浦綾子読書会があります。テキストは「雪のアルバム」。参加費500円。

♪2018年11月24日(土)11時から讃美音楽レッスンがあります。個人レッスンと皆で讃美歌の歌い方を教えていただく時間があります。後者のみの場合は12時半ごろおこしください。個人レッスンご希望の方は牧師までお早めにお知らせください。

2019年2月23日(土)11時より賛美音楽レッスンがあります。

2019年3月8日(金)夕7時より三浦綾子読書会があります。

2019年3月30日(土)11時より賛美音楽レッスンがあります。子どもたちの個人レッスンが11時から12時。12時から30分間ティータイム。12:30-1:00讃美歌を歌うレッスン。1:00-2:00頃が大人の個人レッスンです。個人レッスンご希望の方は牧師まで日曜にお知らせください。

・2019年6月1日 土曜日 賛美音楽レッスンがあります。ピアノやオルガンの個人レッスンをご希望の方は、お早めに牧師まで(日曜日に教会で、もしくはFacebookのmessengerのメッセージにて)ご予約をお願いします。11時から、11時半から、午後、などがあります。また、讃美歌の歌い方や発声をグループで習う時間が12時ごろから30分あります。こちらの参加費は500円です。ご参加をお待ちしています。

2019年9月14日(土)賛美音楽レッスンが11時からあります。個人ピアノ、オルガン、声楽レッスンご希望の方は事前に日曜日牧師にお知らせください。ご相談に応じます。また、9月22日(日)午後1時〜2時半ミニバザーがあります。どうぞおこしください。

2021年1月31日、2月7日、14日の礼拝は各自ご自宅でお捧げください。小樽市内で感染者が急増しています。皆さんの健康をお祈りしています。